曲が降ってきたときには

3日目ですでにブログを書くのが面倒になっている。
今日は昨日と違って家でPCで書いているので、PCの動作が重い以外は快適なので、さっと書いてしまおうと思う。
今のところ何も宣伝していないし、毎日更新しても閲覧は増えていないので気楽な気分で思うまま書くことにする。

音楽活動をしているという触れ込みで書いているブログなので、なるべくネタが尽きるまでは音楽の話を書いてみようと思う。頭の整理も兼ねて。
今後、ネタが尽きるか、音楽の話が書きたくなくなったら関係ない話を書く可能性がある。

さて、曲が降ってきたときの話。
私は曲を作るようになってから2年くらいしかたっていない。
私のような音楽の知識が乏しい者でも曲を作れるということをこんな年になるまで気づかなかったからである。

曲を作ることを時々意識して暮らすようになると、突然知らないメロディーが降ってくることがある。まさに「降ってくる」なので、それがいつ起るのかは自分ではコントロールすることができない。「降ってくる」よりもっと意識的に曲を作る方法はあるのだが、長くなるので、今回はこの不思議な現象についてしぼって書いてみたいと思う。

私が初めてそのような体験をしたのは、人生で2曲目に作った曲の「不自由が丘」(タイトルはユニークだけど、とにかく暗い曲)を作曲したときのことで、そのとき私は家でシャワーを浴びていた。いきなり、聞いたこともない曲が頭の中に流れてきたため、既存の曲ではないかと考えたが、心当たりがなかった。とにかく忘れないようにシャワーを終えるまでずっとその曲を歌い続け、その後すぐギターを持って、メロディーをギターでなぞり、当てはまるコードを探した。幸い、私が知っている簡単なコードで伴奏ができることがわかったので、それを書き留めて、やっと曲を記録することができた。その曲のために暗~い歌詞を書いたのはまた後日のことである。

このように家であればどのような奇行をしても曲を記録することに力を注げるからまだよい。
問題は、仕事中、自転車に乗っているとき、スーパー 銭湯の湯船にいるときなど、記録する手段がほぼ皆無と思われるときである。
何度も繰り返し脳内で歌っていても、ふと意識がそれるとその曲がどんなものだったのか思い出せなくなってしまう。儚いものである。
なんとかi Pod touchをいじっても問題ない状況になるまで覚えていられた曲については、Echo Pianoというピアノの音がしてそれを演奏して録音できるアプリを使い、それっぽい感じで脳内のメロディを再現して演奏して、ファイルに残しておく。ただし、私は鍵盤の演奏が上手いわけではないので、なんとなく雰囲気が伝わるかというレベルの低い演奏になる。録音したものをあとで聞く際には想像力で補完することが必須であり、私以外が聞いてもよくわからないと思う。また、タイトルも思い出せるようになるべく工夫してつけないといけない。
ここで使用するEcho Pianoというアプリは、適当に検索して見つけて使い始めた無料アプリであり、いくつか試した中で使い方がシンプルなのが気に入って唯一使い続けている。世の中にはもっと高機能で人気のある類似アプリがあると思うが、いくつかアプリを使ってみた中でほかのアプリは気に入らなくて消してしまった。
本当は鼻歌を録音するのが一番早いのだが、降ってきたばかりの曲は不安定であり、それを歌っている自分の歌声は自信なさげであとで聞くのが苦痛だという事情から、ほとんどやらない。このようなアプリは演奏が下手でも無機質な感じなので許せる。問題は、鍵盤で脳内の音を拾って再現できない場合がたまにあることで、自分の耳の悪さに絶望してしまう。そういうときだけ、仕方なく鼻歌の録音を検討する。

ところで、降ってきたけれど、不幸にも記録する前に忘れ去られたかわいそうな曲たちはどこにいくのか。
これは忘れたと自分では思っても、実は忘れたわけではない可能性が高い。なぜなら、シチュエーションなどで突然思い出すことがあるからである。

というのも、先日「塩サウナ」という曲を作ったが、その曲の原型は実際にスーパー 銭湯の塩サウナにいるときに降ってきたものである。最初にその曲を思いついたときには、裸で機械の操作はもちろんメモなどもできないので、記録する前にすっかり忘れてしまった。しかし、時が過ぎて、再度同じ塩サウナに入っていたときにその曲は突然鮮やかに思い出されて、私はその曲に歌詞をつけて塩サウナの曲にすることを決心したのである。

聞いた話と私の想像を組み合わせて考えた話だが、人間の脳には意識にのぼる部分と意識にはのぼらない部分があり、おそらく私にとって曲を作るという作業は、大半が意識外の部分で行っていると思われる。そして、私にとって「降ってくる」と感じられる曲は、意識外の世界からときどき意識上の世界に遊びにきているもので、もし忘れてしまったとしても意識外の世界にはずっと存在し続けているのではないだろうか。だから、塩サウナという場所など、何かのきっかけがあれば思い出す可能性がある。

ずっと以前に脳のシナ プスやニューロ ンについて勉強したときに聞いたのだが、脳の中にあるトピック(のようなもの)は使えば使うほどほかのトピックと関連付けられて、つながって、つながりが強化されてゆくというしくみになっているらしい。詳しい専門用語は忘れたが、この理屈だけはよく覚えている。
この理屈にしたがって考えると、シチュエーションによって忘れた曲を思い出すという現象は科学的に無理なく説明できる。
また、この理屈が正しければ、曲を作り続けていると、それに関連した脳の各部署はつながっていって、つながりを強化して豊かになるということである。
作曲の初心者である私の脳に曲を作る部署があるとしたら、そこはまだまだ脳の中で陸 の孤島のようになっていて、どことつながるかはこれからの修行次第であり、無限の可能性がある。もしかすると、今は自分でコントロールできない脳の意識外の部分も、一部は意識的に使うことができるようになるかもしれない。その時に今より進化した曲が作れるか、それが一番の問題である。「降ってくる」という不思議な現象に甘えることなく、なるべく精進したい。