千葉に帰ってきた

千葉に帰ってきた。

昨日、沖縄にはまる一部の人は、スピリチュアルな方向ではまるとかわけのわからないことを書いたけど、千葉に着いたら、私の千葉への全方向的な愛を再度実感した。スピリチュアル方向ももちろんである。私は千葉出身で千葉県民なので当然といえば当然である。まず、旅行などから帰ってきたとき、千葉県に足を踏み入れるだけで元気になる。私は成田のお隣の佐倉が出身地であるので、成田空港なら、飛行機が着陸した時点ですでに地元感がある。現在は船橋の郊外に住んでいるため成田からの電車なら京成、JR、スカイアクセスのいずれに乗っても帰れるし、おなじみのところしか通らない。耳にする駅名もたとえ「印旛日本医大」とか「ユーカリが丘」とか知らない人は何かと思う駅名までもがおなじみ。空港から電車が便利な地域のため直通バスはあまり出ていないが、おそらくバスに乗ってもよく知ったところを通るはずである。
電車から景色を見ていると、成田山の建築物や印旛沼、田んぼなどが見え、路線によっては私の出身の小中学校までも見ることができる。電車に乗っていて周りの乗客(空港を利用するよその人)が「成田空港のあたりって田舎なんだね」などとよく言っているのを聞くが、実際田園風景なのだが、地元民としてはなんとなくむっとする。あと、安心するのが地元民の使っている言葉である。千葉の北西部に近くなると訛りや方言などほとんどないはずだが、よその方言が盛んな地域から戻ってきたとき、道行く人の会話などを聞いて安心するので実際には微妙な何かがあるのだと思う。
このように、千葉は私にとって安心を与えてくれ、よそから帰ってくるとパワースポット的なものまで感じるし、千葉に悪いところがないわけではないことも知っているが、けなす人は嫌いである。ふだん通勤時間をかけて東京に通っていて、本当は東京に住んだほうが便利だし千葉と私は腐れ縁だと思うことはあるが、帰る場所は結局ここしかないと思う。
さて、最初の話題に戻ると、いま書いたような私の千葉への愛は、私と千葉の今までの深い縁によってはぐくまれたものだが、沖縄にスピリチュアル方面ではまる一部の人(アーティストなど)は、長いこと沖縄に暮らしていなくても、沖縄出身でなくても縁を感じているわけである。
主な症状としては、いきなり沖縄風の曲を作ったり、沖縄民謡にはまったりする。「なんくるないさ」などの言葉に感銘を受けて使い出す。沖縄の政治活動に参加する。沖縄に「行く」ではなく「帰る」と言う、神秘体験を沖縄で受けたと言い出す…などなど例をあげるときりがない。このようなことを見聞きするにつけて、沖縄はすごい場所だと思っていた。
やっぱり私の千葉への愛を実感した後に上記の例を改めてあげてみると、沖縄ってすごいと思わずにいられない。独特の文化や歴史があるし、観光地であるという要因はあると思うけど、よその人に対するアピールや吸引力が違う(掃除機のような表現になってしまった)。
私にとって初めての沖縄は、海や南国の花を眺めて思っていたよりもいいところだったけど、暑すぎてぼーっとなっており、今回はまだ暑さに慣れていないせいもあったけど、たぶん同じ気温なら次に行ってもぼーっとすごしてしまい、はまるところまで意識が及ばない気がする。でもリゾートというのは、本来はごちゃごちゃ考えないでぼーっと過ごすところのような気がしたので、強制的にぼーっとなってしまうのも強い魅力のひとつかもしれないと今思った。実際に行ってわかったのはこれだけ。時間が経ったらまた何か気づくかもしれない。

追記
昨日書いた沖縄そば店には無事行けた。だし主体のかなりあっさりしたスープで、イメージとは違うが美味しかった。お店の人の感じもよかったし、注文するとマッハの速さで出てくる。
11時の開店直後に行ったが、食券番号から私は6番目だった模様。前日麺が売り切れで夕方には閉店していたのも納得の客入り。流行ってるらしい。

f:id:moji_mojika:20150613093542j:plain
売り切れの看板(前日)

f:id:moji_mojika:20150613092216j:plain
実際に食べたそば。沖縄ではなまってすばというらしい。
本ソーキそば小590円だったと思う。具が別のせなのは合理的でよいと思った。